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柳町 (仙台市) : ミニ英和和英辞書
柳町 (仙台市)[やなぎまち]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [やなぎ]
 【名詞】 1. willow 2. slim 
: [まち]
 【名詞】 1. (1) town 2. (2) street 3. road 
: [せんと]
 (n) cent
: [だい]
  1. (n,n-suf) (1) stand 2. rack 3. table 4. (2) support 5. (3) belt 6. (4) counter for machines, incl. vehicles 
: [し]
  1. (n-suf) city 

柳町 (仙台市) : ウィキペディア日本語版
柳町 (仙台市)[やなぎまち]

柳町(やなぎまち)は、日本の宮城県仙台市青葉区に位置した町である。伊達氏に従って米沢から岩出山に、次いで仙台に移転し、仙台の中でさらに一度移転して現在地に落ち着いた。6つの御譜代町の一つで、24の町人町の中では5位につけたが、江戸時代から現在まで豪商や大店舗を見ない庶民的な商工業地である。1970年の住居表示で一番町一丁目に属して地図から消えたが、町内会が柳町でまとまり、街路に歴史的町名の表示がなされ、存在感を残している。2008年現在の世帯数は610〔町内会調べ。『片平地区平成風土記』7頁。〕。
== 概要 ==

柳町は、戦国大名伊達氏の城下町だった米沢に、米沢六町の一つとして作られた。成立時期は不明である。伊達政宗豊臣秀吉の命で岩出山城に転じると、これに従って岩出山に移った。政宗が徳川家康の許可を得て仙台城を築いて本拠を移したとき、これに従って仙台に移転した。仙台でははじめ現在の西公園通りの両側に町を作ったが、後に移転した。元の場所は元柳町(あるいは本柳町)と呼ばれて武家屋敷地になった。
南北に走る奥州街道が、城下町の中で東西に折れる箇所が、移転後の柳町である。東西に長い柳町の東の端から南に北目町が続き、西の端からは北に南町が続くというのが当時の街道の道筋である。この東西の道と、両側に並ぶ屋敷地がともに柳町と呼ばれた。かつての柳町通りは、柳町に通じる道という意味で、柳町そのものではなく、柳町の東端から東に続く道であったが、現在では柳町まで含めた道路の名称になっている。反対側、南町との交差点から西に続くのは袋町と呼ばれ、どちらも武家屋敷が並んだ。柳町の真ん中に北から突き当たるのが、明治時代以後に中心商店街となる東一番丁(後の一番町)である。江戸時代には東一番丁は柳町で突き当たって終わっていた。
江戸時代の初期には九月日市の特権と、茶の独占販売権を与えられたが、いずれも17世紀のうちに廃止された。柳町は比較的小規模な商人と職人の町で、明治時代に入ってもこの性格は変わらなかった。1919年の南町大火、1945年仙台空襲で全焼したが、その都度庶民的な商工業地として復活を果たした。
戦後復興では、五橋通りという幅広い道路が、従来の道幅の柳町を真ん中で斜めに切る形で新たに作られた。1970年住居表示施行で、柳町は一番町一丁目の一部になって消滅した。しかし町内会は旧来通り柳町会として続いている。歴史的通りや町名復活の運動があり、柳町の道標が設置されている。町の東端にある大日如来堂は、柳町が町ぐるみで祭ってきた仏堂で、毎年7月に祭礼がある。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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